水俣病の患者認定の厳しさ ~今になって証拠提出を迫られる患者~

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熊本県の水俣湾で起きた有機メチル水銀による海水汚染によって引き起こされた四大公害病の一つで、食物連鎖により人間に影響が及んだ水俣病。次いで新潟で起きた新潟水俣病(第二水俣病)を含め、国の認定基準の厳しさから、現在も解決されない認定公害病となっています。

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◇原因の特定と被害者認定の遅れ

熊本の化学工業会社「チッソ」から流れ出した廃液による環境汚染が原因で、1952年頃から原因不明の中枢神経疾患が急増。特に小児が発症しやすく、神経症状が特異であるために奇病扱いされていました。胎盤を通過しやすいメチル水銀によって脳性麻痺の新生児が急増した後、1968年になって厚生省と科学技術庁は工場排水が原因であるという見解を発表。

東京地裁、熊本地裁、福岡地裁が相次いで和解勧告を出した後、発生から21年後の1973年に原告勝訴という進展の遅さを見せたため、最初の確定判決の後に水俣湾が埋め立てられた翌年から刑事裁判による有罪判決が続々と続き、責任の所在は確定したものの、被害者の認定の難しさが残る事になります。

企業の幹部に刑事罰が処せられたということは責任の所在は明らかですが、外見でわかりやすい脳性麻痺や運動障害などを含めて、精神状態に影響を与える奇病であっただけに、水俣市出身というだけで差別をされる風潮は続きます。周りの差別的な視線を受けながら原告として立ち上がるのは簡単ではなく、被害者数がはっきりしないというのも問題でした。

◇差別意識と被害者数の把握

地場産業としての新日本窒素肥料(元チッソ)は職を提供する場でもあったため、漁民への差別意識がさらに高まるという理不尽な扱いをされる被害者とその家族は、当然の権利を主張するものの、国は和解を拒否する姿勢を変えなかったことで、裁判が長期化したということも後の被害者救済の遅れにつながってきます。

勝訴の前例を受けて、第二次、第三次訴訟が続きますが、「認定基準は1977年当初と変わらない」ということが原因となり、申請を却下される被害者は減らないまま2014年まで訴訟が続くという事態です。

◇国の認定基準の厳しさ

当初の認定基準として、汚染地区の魚介類を摂取した後に感覚障害が生じたことが前提で、中枢性の視野狭窄・運動障害・感覚障害などのいずれかが認められる患者3,000人が認定済みです。その後の受給者は6,500人に上っています。そして、新たな申請者や訴訟を起こす被害者によって現在も解決に至っていません。

いつまでも訴訟を起こす原告に腹を立てる国民もいるようですが、その理由としては申請を却下され続けてきたのが原因であって、被害者や被害者家族などの原告に批判の目を向けるより、熊本県の行政の怠慢を批判すべきです。最高裁判決では、国と熊本県に対して不作為違法責任を認定しながら、熊本県と国が被害者認定の作業を押し付け合った結果、最終的に国が認定作業を行うことになります。

裁判で過失が明らかになった被告(熊本県と国)が、「罪は認めるが、あとは知らん」と開き直るのとあまり変わらないような気もします。刑事・民事・行政責任と国家賠償請求、企業に対する損害賠償請求が重なったことや、同時進行している新潟水俣病事件の影響もありますが

◇未だに認定申請が行われる理由

2015年現在、最初の被害者の発生から59年経過しています。判決が下されていないものもあり、加害者の特定と被害者救済までに長い年月がかかったことが最も大きな問題として残されています。

環境省は2014年に新しい認定基準を設けましたが、症状に追加された条件として「有機水銀の暴露を受けたとする客観的資料を求める」というもので、認定基準としての症状は、「感覚障害があれば条件を満たす」という最高裁の判決がありました。

といっても、59年前の水銀を吸収した毛髪や、尿中の水銀濃度、当時に魚介類を食べたという状況証拠などを客観的資料として提出することが必要になります。この辺りは第三者にはわからない部分ですが、おそらく遺族が患者の毛髪を手に入れない限り認定しない、という結論にしたいのかもしれません。

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