ハンセン病患者の家族、国の違憲性認定で集団提訴へ | 家庭医学の知識大百科「ヘルスカレッジ」~家族を大病から守るためのサイト~

ハンセン病患者の家族、国の違憲性認定で集団提訴へ

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1931年には感染力を失わせるリファンシピンが開発され、1941年にハンセン病(ライ病)の治療薬プロミンで治る病気になり、感染力も失ったにもかかわらず、国立感染研究所ハンセン研究センター熊本分室は1957年まで存続、ハンセン病患者の隔離を1996年まで続けたことで差別扱いが問題となり、強制隔離対策と偏見や差別を受けたとして熊本地裁に提訴、2015年5月に国の違憲性を認定したというもの。

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◇ハンセン病と治療法の確立

らい菌が皮膚のマクロファージ内と末梢神経細胞内寄生による感染症であって、外見と感染症への恐怖心から、病気や感染症についての知識がない県民が、患者を見た目だけで判断して差別意識が強く、当初の感染源としては鼻水や気道からの感染が主なものとなっていました。末梢神経障害と皮膚症状がひどく、肝臓や脾臓・腎臓に病変が起きても無症状がほとんどです。進行すると末梢神経障害による皮膚の変形や眼症状が出てきますが、早期に治療を行うと皮膚症状まで進行する前に治るとのこと。

しかし、1931年の時点で感染力を無くす「リファンシピン」が開発され、1941年には治療薬プロミンで感染力が失われることが確認されたものの、ハンセン病患者の隔離を1996年まで続けたため、元患者の遺族は鳥取地裁に提訴したが、時効を理由に損害賠償請求を棄却。しかし「国は患者の子供に対する社会的偏見を排除する相当の措置を取らなかった点では違法」という判決であった。

◇治療薬開発から隔離解除までの経緯

隔離されている患者が訴訟を提起することができないのは当然で、民法の損害賠償請求の時効が20年なので、いつを起点に考えているのか不明です。

この判決を機に2015年11月30日には、国に対して隔離政策の犠牲になった患者の家族の損害賠償を求めるという集団提訴へと発展。2016年2月に熊本地裁に国を相手取って謝罪と賠償を求める集団提訴を起こすことを明らかにしました。

1907年 ハンセン病隔離政策が始まり全国に私立療養所を建設
1930年~1940年 強制隔離政策を推進しながら国が一括統治
1941年 プロミンによる治療の確立と感染の危険が無くなる
1996年 隔離政策が廃止され、元患者の社会復帰支援に一時金支給
2001年 熊本地裁が国の違憲性を認め18億の賠償命令
当時の総理、小泉純一郎が控訴断念を政治決断、謝罪する
2015年 鳥取地裁が元患者家族の被害について国の責任を認める
2015年 元患者(死亡)の時効成立のため家族の被害で集団提訴

2007年時点の世界の患者数は25万人であり、日本国内では療養所入所者数が2717人であり、2003年以降はほとんどが在日外国人という現状です。細菌がゼロになるまで治療を行うという基準があるため登録者が減らず、新規感染者と治癒後の再感染者(主に在日外国人)の入所が増加しているので、主にブラジルと南アジア出身の外国人がかなりの数を占めていると思われます。

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