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凪七瑠海の『1789』を配役から読む|2015年デムーランから2025年マリー・アントワネットへ

革命を象徴する羽根ペンと宮廷を象徴する王冠を音符で結ぶオリジナルイラスト 宝塚

同じ作品に、十年を隔てて別の立場で戻ってくる。凪七瑠海の『1789-バスティーユの恋人たち-』には、そんな興味深い配役の変化があります。

2015年の宝塚月組公演では、革命家カミーユ・デムーラン。2025年の東宝製作公演では、マリー・アントワネットを演じました。革命を進める側から、宮廷に生きる側へ。この変化をたどると、男役から退団後の俳優へという経歴だけでは捉えきれない、物語の見方の広がりが見えてきます。

この記事は公式配役表、制作発表会レポート、公式公演資料をもとに構成しています。実際に観劇した感想や、両公演の歌唱を聴き比べた舞台評ではありません。情報確認日は2026年10月11日です。

まず「何年の、どの版か」をそろえる

『1789』は、フランス革命の時代を背景に、ロナンとオランプの恋を描くミュージカルです。革命家たちと宮廷の人々が並行して登場します。凪七が演じた二人は、この二つの世界のそれぞれに位置する人物です。

公演凪七瑠海の役資料で確認できる立場
2015年 宝塚月組カミーユ・デムーラン革命家・ジャーナリスト、ロナンの友人
2025年 東宝製作マリー・アントワネット宮廷側に登場するフランス王妃

2025年の東京公演は明治座で4月8日から29日まで行われました。2026年の今から読んでいる場合、これから購入できる公演の案内ではなく、すでに上演された公演の記録として見ることが必要です。

また、同じ題名だからといって、宝塚版と東宝版の台本、曲の担当、場面の長さをすべて同じと考えることはできません。今回は、公式に確認できる配役と制作時の説明を比較の土台にします。

2015年のデムーランは、主人公の世界を広げる人物

月組の公式配役表は、デムーランを革命家でジャーナリスト、そしてロナンの友人と説明しています。王宮の外で出会う人々の一人というだけでなく、主人公が社会の動きに関わる際の関係を持つ役です。

農村からパリへ出た主人公にとって、友人と出会うことは、単に仲間の人数が増える出来事ではありません。個人の苦しみを、ほかの人々にも関わる問題として考える入口になります。デムーランを「主人公の横にいる革命家」とだけ覚えるより、ロナンがどんな言葉や考えに出会うかを見ると、人物関係を整理しやすくなるでしょう。

ここで面白いのは、役の説明にジャーナリストという職業が含まれることです。舞台上の具体的な演出を断定する材料にはできませんが、少なくとも配役資料は、彼を武力だけで行動する人物として提示していません。言葉を扱う立場に着目すると、革命がどのように人々へ伝わるか、という問いが生まれます。

私は、この職業の一語を見落とさないことが、配役表を読む楽しさだと感じます。同じ革命家でも、誰が主人公を導き、誰が政治を考え、誰が情報を広げるか。人物を一括りにしないことで、作品の入口が増えます。

本人の制作時の説明から見える役づくりの焦点

2015年3月11日の制作発表会レポートには、凪七の役への考えも記録されています。デムーランについて資料を調べ、外見の印象と内面の活力の違いに目を向け、人間らしさを大切にしようとしていたことが分かります。

これは「舞台で必ずこう見えた」という評価ではなく、公演前に示された役づくりの方向です。完成した演技と制作時の意図を分けて読むと、本人の言葉を都合よく舞台評の代わりに使わずに済みます。

役名から想像する類型と、資料を読んで考える人物像が違うこともあります。革命家と聞いて、一種類の強さや激しさだけを思い浮かべると、役の細かい性格を見逃しやすい。制作レポートは、その思い込みをほぐす手掛かりになります。

観客が映像を見返すなら、「大きな歴史を語る場面でも、一人の人間としての事情が見えるか」という問いを持つことはできるでしょう。ただし、その答えは実際の映像や公演で確かめるものです。資料だけで歌い方や表情の細部まで描くことはできません。

2025年は、同じ革命を宮廷側から見る

東宝の公式ページは、2025年公演のマリー・アントワネット役として凪七瑠海を掲載しています。ロナンは岡宮来夢と手島章斗、オランプは星風まどかと奥田いろはのダブルキャストでした。凪七が以前演じたデムーランは、内海啓貴が担当しています。

つまり、十年後の『1789』では、凪七が以前いた役の場所に別の俳優が入り、凪七自身は別の人物関係の中に立つことになります。同じ作品に戻るという言い方にも、同じ役を深める場合と、異なる人物から世界を見直す場合があるのです。

公式の物語紹介では、オランプは王妃とフェルゼンの関係に関わる人物としてパリへ来ます。王妃は革命の背景にいる記号だけではなく、主人公たちの出会いを生む宮廷側の関係にもつながっています。

この位置に注目すると、革命側と宮廷側がただ交互に出る構成とは違う読み方ができます。二つの世界は遠く離れながら、登場人物の行動を通じて接続される。デムーランから王妃への配役の移動は、その接続を両側から考えるきっかけになります。

2025年公演の雰囲気は、東宝の公式舞台映像PVでも確認できます。短い紹介映像ですので、公演全体の演出差を判定する資料としては範囲を限定して見るのがよいでしょう。

宝塚版の制作方針は、比較の大切な前提

2015年の制作発表会で、小池修一郎は、主人公ロナンの生き方を中心にしながら、同時代の人々の生き方も並行して追う宝塚版の方針を説明しています。また、楽曲の選択には声の音域も関わり、曲を誰に担当させるかを検討していたことが記されています。

この説明から確認できるのは、翻訳された作品をそのまま置き換えるだけではなく、出演者や宝塚の構成に合わせて組み立てる作業があるという点です。ただし、制作途中の説明から、最終的にすべての曲がどう変更されたかまで結論を出すことはできません。

男役という表現の枠組みと、退団後の俳優としての役づくりを比べる際も、声の高さだけを物差しにしない方が面白いと私は考えます。誰に向かって歌うのか、主人公の物語にどこで接するのか、場面の目的は何か。配役の変化は、こうした関係の変化でもあります。

「昔は男役、今は女性の役」という経歴の説明は分かりやすい一方で、それだけでは、デムーランと王妃が物語に担う仕事の違いが薄れてしまいます。役の性別と、物語上の働きを分けて考えると、俳優の仕事をより具体的に見られます。

新人公演の列から、役を引き継ぐ関係も見える

2015年の公式配役表には、新人公演のデムーラン役として夢奈瑠音が記されています。本公演の凪七と新人公演の夢奈を横に並べて読めるのは、宝塚の配役資料ならではの特徴です。

新人公演は、若い出演者が本公演とは別の配役で作品に取り組む機会です。同じ人物を別の出演者が担当するため、役そのものにどんな課題が含まれるかを考える入口にもなります。

ただし、配役を引き継いだことから、具体的にどの指導を受けたか、どの表現を真似たかは分かりません。そうした交流は、本人の発言など別の資料が必要です。配役表から言えることを限定すると、むしろ比較したい点が明確になります。

例えば、役の説明にある「友人」と「ジャーナリスト」を、それぞれどう表現するか。同じ台本上の人物でも、演じ手によって確認したくなる点をあらかじめ整理できます。舞台評を読む前に自分の問いを持てることは、詳しいファンにとっても役立つはずです。

配役を比べるときに残しておきたいメモ

映像や公演資料を手元に置く場合は、作品名だけでなく、年、製作元、出演者、収録された公演を一緒に記録してみてください。別の年の同名公演や、短いPVと全編映像を混同することを防げます。

比較のメモには「確認できたこと」と「次に見たいこと」を分けると便利です。2015年はデムーラン、2025年は王妃という配役は確認できます。一方、両役での間の取り方や歌唱の細かな違いは、実際の映像を同じ観点で確かめる課題として残します。

こうすると、最初から優劣を決めるための比較ではなく、作品と俳優の仕事を理解するための比較になります。短い公式映像だけを見た場合は、その映像の範囲に感想を留めることも大切です。

一つの作品に戻ることで、役の幅が見える

凪七瑠海の『1789』をたどる面白さは、別の役に変わったという事実の先にあります。主人公の友人として社会の動きへ接続するデムーランと、宮廷の関係から主人公たちの物語に接する王妃。同じ革命を扱う作品でも、立つ場所が変われば、関わる人物と場面の目的が変わります。

私は、この配役の移動を、経歴を知るための年表で終わらせたくありません。公式資料で土台を確かめ、次に映像で何を見たいかを考える。そこまで進むと、よく知っている作品にも、新しい問いを持って向き合えると思います。

確認した公式資料

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